山口県光市冠山総合公園  第9回灯花祭里・ 国体炬火集火式の紹介 2011-9-3  





山口県光市冠山総合公園
第9回灯花祭里・ 国体炬火集火式の紹介
2011-9-3

   第9回灯花祭が開催された。

 2011年9月3日(土)18時から21時まで、冠山総合公園(光市室積村)で「第9回灯花祭」が開催された。
 園路や日本庭園には多数の竹灯ろうが設置され、幻想的な灯かりに彩られた。
 池に浮かぶ「浮き灯花」や、市内の民話を描いた「竹灯ろう物語」など内容も多彩であった。
 約4300個の竹灯ろうが光の世界を創り出しきれいだった。
 屋外ステージでは19時から、王丹さん二胡の奏者が行われた。
 くじ付きのスタンプラリー(1枚100円、空くじなし)や、フルーツみつ豆などの販売もおこなわれた。
 入園無料で接近していた台風もそれ無事終了した。
 なお、今年は灯花祭開会式の前に、18時から「山口国体光市炬火集火式」が開催された。




第9回灯花祭・ 国体炬火集火式 プログラム 内容


  ★時 間 18時〜21時(雨天中止)
  ★場 所 冠山総合公園(修景池、日本庭園)
  ★内 容  
   ●浮き灯花(修景池) 修景池に「梅」の絵柄をした竹灯ろうを3基浮かべ
    ます。
   ●灯花回廊(日本庭園、園路) 竹灯ろうで日本庭園や園路を彩ります。
   ●大型竹灯ろう(東屋、築島) 竹灯ろうを組み合わせた大型竹灯ろうを2
    基設置します。
   ●竹灯ろう物語(東屋広場) 「火事を知らせる牛」の民話を障子紙に描き
    ろうそくの灯りで照らします。
 【関連行事】
   ●国体炬火集火式 18時〜(屋外ステージ)
      ・山の火、海の火を一つの光市の火として炬火台に点灯します。
   ●灯花祭開会式
      ・炬火台の火を灯花祭会場の松明に灯します。
      ・来園者先着100人に、鐘の音を合図に一斉に園路の竹灯ろうに灯
       をつけてもらいます。
   ●灯花祭LIVE 1 9時〜(屋外ステージ)  出演:王丹(二胡奏者)
   ●コーヒー・フルーツみつ豆等の販売 18時〜( 売店)
   ●スタンプラリー 18時〜(総合案内所 1枚 100円) 空クジなし

 冠山総合公園の場所




 里の厨オープニング記念イベントのスナップ写真




スタンプラリー 
18時〜( 1枚 100円) 空クジなし道路から見た里の厨



大型浮き灯花池の中に設置


園児による遊戯



国体炬火集火式 市長挨拶
 


  
炬火集火式関係者



市議会議長挨拶



山口国体光市標語受賞者


最優秀受賞者




最優秀標語


授賞式


山の火、海の火の光市炬火式2箇所のスナップ写真


山の火、海の火を一つの光市の火とした



聖校国体選手 国体当日この火を持参



司会者




炬火を二つの松明に点火

 

大型浮き灯花に点火開始
 
            

一つにまとめた炬火

 

   色にも工夫がされている





   日本庭園や園路の灯花に点火 







大型竹灯ろう


暗くなり趣が出た





二胡奏者の野外ステージ


王丹さん(二胡奏者)ライブ前に、王丹さん生徒の演奏が行われた。
 王丹さんの写真撮影は禁止されありません。













竹灯ろう物語(東屋広場) 
「火事を知らせる牛」の民話を障子紙に描きろうそくの灯りで照らす。


牛島の民話  丑森明神について
 
 むかしむかし、牛島に甚兵衛という情け深い人が住んでいた。田んぼから牛をひいて帰ると、必ず海へ連れ ていって洗ってやり、そして「ほんとにご苦労じやったのう。よう働いてくれた。明日もまた頼むでよ」とね ぎらいの言葉をかけるのが常であった。
 ある日のこと、甚兵衛はいつものように牛を田んぼから牽いて帰ると、すぐに海へ連れて行った。その日の 仕事は平目の倍以上もあったので、甚兵衛は特別に念を入れて洗ってやり、「よう働いてくれて、ほんとに有 り難うよ。明日からはゆっくりさせてやるからな」と、いたわりながら足腰をていねいにこすってやり、「さ あヽ早ういんで、メシにするかのう」と、牛の手綱をとって浜から上がろうとしたが、その日に限って牛はど うしても甚兵衛のいうことをきかず、何度やっても四本の足を海中にふんばって動こうとしない。
 そこへ折よく島の若い衆が通りかかり、すぐに海へはいって沖から牛を追いあげてくれたので、甚兵衛はほっとして家に 帰った。
 その夜のことである。甚兵衛は真夜中に体が焼けるように熱いのに驚いて飛び起きてみると家が盛んに燃え ている。
 火の回りが早くて家財道具を運び出すひまもなく、急いで牛小屋へ行ってみると、牛もすでに焼け死 んでいた。
 「あのとき海から上がろうとしなかったのは、こうなる予感があったからかな。ほんとに可哀相な ことをしたもんだ」と、甚兵衛はまるでわが子を焼け死なせたように嘆き悲しむのであった。
 それから数年が経過した。
 ある目、畑仕事をしていた甚兵衛がふと空を見上げると、死んだ牛の形をした黒雲が島の上にゆっくりとお おいかぶさってきた。
 「こりゃ、大変じゃ。」甚兵衛はそう叫んで急いで村へ帰り、「村のし、大変じゃど。 今夜は火の用心をせんさいよI」と注意して回ったが、村の人たちは甚兵衛が気でもふれたのかと、ただ笑っ て別に気にとめるものもなかった。
 ところが、その夜のことである。どこから出たともわからない火のために、島はまる焼け同様になってしま った。
 こうした不審火がその後も数回つづいたので、いつのまにか「こりゃァ甚兵衛さんとこの、焼け死んだ牛の 崇りじゃ」という噂が起こり、そのうちに誰がいい出したともなく、「村で牛の供養墓を立ててやろう」とい うことになり、話はすぐにまとまって共同墓地のなかにその牛の墓が建てられ、墓石には 「うしもり明神」と 刻まれた。
 これからのち島には火事らしい火事はなくなったという。
光市史 昭和50年3月31日発行  





  障子紙の絵を写真にとり加工した。




甚兵衛さんと牛



家に帰るのを嫌がる牛


火事がおこり牛は焼け死 んだ


  わが子を焼け死なせたように嘆き悲しむ甚兵衛 。


空に死んだ牛の雲



不審火がその後も数回つづいた


「村で牛の供養墓を立てることでまとまる」


  牛の墓 うしもり明神




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