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★ 早長八幡宮秋まつり★
毎年10月第2日曜日、山車や踊山が繰り出し、八幡宮から御旅所(宮ノ脇にある最初勧請
の地)までの御神幸と御還幸が行われます。
神社の形態を整えた山車を曳くという全国的に見ても大変珍しい祭りです。
《山車行列の順序》
台若〜鳥居〜石燈呂2輌〜こま狗2輌〜随神2輌
〜御鏡山〜みちあけ太鼓〜九頭〜御輿2輌〜神職〜
氏子総代〜子ども御輿〜曳き船〜踊山
先頭の台若と最後尾の踊山には、山宰領が載り込み「チョーサー、エンヤラーヤー、
エンヤー、エンヤー----」の掛け声とともに、幣を振って山車の舵を取ります。
★ 若衆と山宰領 ★
山車の曳き手のことを若衆(わかしゅう、又はわかいし)と呼びます頭には豆絞りを巻
き、白色のシャツ、腰には兵児と呼ばれる白い腰巻に兵児帯を締めて、各自治会毎に揃え
た法被を着て参加します。
踊り山の曳き手に合図する役を山宰領と呼び、毎年6名が選出されます。
「山宰領に指名されることは名誉なことであり、決して断ってはならない。」という伝統
があります。
踊り山の曳き初めには、山宰領が「室積の若い衆 頼みじゃー」と呼びかけます。
祭りの最後は、「室積三本締め」と呼ばれるて締めで締めくります。
★ 山車と踊山 ★
早長八幡宮の祭礼用山車は、江戸前期の寛文年間(166!〜1672)、祭礼に用いた神船をか
たどって造られ車両の形態を整えたもので、始めに「台若」「御鏡山」「曳き船」の3
輌、元禄年間(1688〜1703年)になり、初めて今日の山車10輌等を連ねた御神幸の形態が
整ったといわれています。
享保18年(1733年)に室積浦の普賢寺・番所・蔵・対面の松を含め226戸の民家を焼失する
大火災があり、山車全部を焼失しましたが、氏子等の熱意で、宝暦7年(1757)に再び造ら
れました。
現在「祭礼用神具山車10輌」と「奉納、民俗芸能用屋台(踊山)1輌」は、光市有形民俗文
化財に指定されています。
室積探訪
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光市で早長八幡宮秋まつりが開催された 。夜間帰路紹介
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